お知らせ
住職より
From a priest
初午大祭で身に着けていたものを落とすことについて
近年ハンカチなど、身に付けていたものを落としていかれる方がたくさんみえますが、これは古くからある習慣ではありませんし、お寺ではおすすめしておりません。
現在これらのハンカチは一部の新しい物については古着などと一緒に海外に贈り、リユースされていますが、大部分がゴミとなってしまいます。
置いていかれる方は籠等へお入れいただき不燃物や不衛生なものは置いていかれぬようお願い致します。
災いというのは菌やウイルスのようにうつったり感染したりするものではなく、心の持ち方で降りかかり易くなったりそうでなかったりするものだと思います。厄年だから何か悪いもの持っていたりついたりするものでもありません。
申し訳ございませんが、現在は感染症予防の為にハンカチ等を置いていかれることはご遠慮頂くようお願い致します。
厄年について
厄年と言うと一般的にはよくないことが起こりやすい年と考えられがちですが、そういうものでもありません。
厄年の起源ははっきりとは分かりませんが、一説には役職の役からきたとも考えられています。
昔は男性は42歳になるとその集落で重要な役職に当たるため、お払いを受け身も心も清めてその職責を全うしました。
25歳では大人の仲間入りをし、61歳で老年組に変わります。
それぞれ節目の年として厄年の行事が個人の自覚と社会的責任をうながす意味を持っていました。
女性の厄年も男性のそれに相応しています。
ただし私も何年か前に42歳の厄年を終えましたが、その年になると気を付けていても身体のあちこちが弱ってきているのを実感しました。
今では毎年きちんと健康診断を受け、厄年のときは特に念入りに検査しました。
現在でも42歳になると家庭でも職場でも地域でも重要な立場にいることが多いと思います。
これからもそれらをしっかりと担っていくため、ここらで一度現在の自分を見つめなおすことは大切だと思います。
厄という漢字の原義は木のふしであり、これは製材や工作するのに不便なことから転じて災厄・苦難の意味に用いられるようになりました。
しかし竹などでも長くて強くなるには節があってこそです。
今後の人生をよりよくするためにも節目となる厄年をうまく過ごして迷信などには惑わされないようにして下さい。
住職のひとりごと
表題の通り住職の個人的な見解などであり、お寺としての意見ではございません。
勝手なつぶやきと聞き流していただければいいですし、何か考えるきっかけになれば幸いに存じます。
サッカー日本代表が帰国し暖かく迎えられた。目標のベスト8の壁を突破できなかったが、日本中に感動を与えてくれる試合を見せてくれた。他の競技に比べサッカーは結果の出せなかった時に批判やバッシングを受けやすい。選手も監督もスタッフも目標に向けて努力してもいい結果が出るとは限らない。日本人サポーターは試合後のスタジアムの掃除も世界に広がりだした。もしも結果の出ないことがあっても素晴らしい対応をすることを先駆けてほしい。
コロナ感染者もピーク時からは随分減少し、マスクの着用が徐々に緩和しつつある。こんな過渡期に問題にされるのが人による感覚や温度差の違いである。マスクに限ったことではないが、どれが正解でどれが正義でもない。人に迷惑をかけなければそれぞれの思うようにしていただければいいわけで、他人に強要するものでもない。自分の考えとは違うことも尊重する多様性を大切にしたい。
出場校も揃い今日から甲子園も始まった。しかし今年の地方大会では出場辞退による不戦勝が度々目に付いた。甲子園出場が決まってから感染者の出た学校もある。ちょっとしたタイミングのずれで天と地程の差がある。インターハイの出場辞退はもっと深刻な状況にある。コロナ禍の中ではしょうがないでは済まされない。子供達にとっては人生の中でとても大事なかけがえのない事柄であり、子供達が納得できる大人の対応策を早急に願うばかりです。
阿倍元総理が遊説中に凶弾に倒れるという事件が世界中を震撼させた。決して許されない蛮行であるが、経緯や背景が少しずつ見えてくると、問題点が浮き上がってくると共に、被疑者に対して理解できるという考えを持つ方が少なからず出てきたように思える。宗教に関わる者にとってはよく考えなければ所もあるし、友人の選挙を応援する時には今後緊張感が増すことになりそう。先ずは安倍元総理の功績を称えご冥福をお祈りいたします。
先日家族が新型コロナに感染したため濃厚接触者として隔離生活を経験しました。幸い感染は広がらず無事に全員隔離期間を終えましたが、ご参拝の方々には大変ご迷惑をおかけいたしました。申し訳ございませんでした。 ワクチン接種も大切かと思いましたが、体調を常に気をつけてある程度は体を動かすことが大事だというのも実感いたしました。お寺のように広い場所があればさほど困難ではありませんが、これがホテル療養など限られた空間で過ごさざるを得ない方々にはきついことかもしれません。今そういった状況にある方はなんとか気持ちを整えながら無事に過ごせますようお祈りしております。
ウクライナから惨状が報告されるようになってから一月以上が経つ。未だに和平に至らず、こうしている間にも殺戮が行われているかもしれない。桜に浮かれていてもいいのかとも思うが、世界中の知らない所で関係者が命がけで尽力していると信じ、唯一生懸命祈りたいと思う。
コロナ禍も二年以上続いている。感染対策・医療・経済政策など絶えず検討なされているが、日々の制限から受ける精神的な影響について論じられる機会が少ないように思う。様々なストレスから精神的な不調を訴える人も多い。いろんなところにいろんな形で影響が見受けられる。是非ひとりひとりが心安らげる時間を持って下さい。
眞子様ご結婚での会見は痛々しささえ感じられるものであった。せっかくの祝福されるべき事柄なのに可哀そうで仕方がない。何故そのような状況になったのか皆さんにも考えてほしい。お二人にも原因があったんじゃないですかなんて口にしている方は特に。いじめの構図とダブって見えてしまう。圭さんも眞子さんも素晴らしい方だと思います。是非お幸せに。
岸田総理に代わって間もないが、衆議院戦が行われている。世の中が何かと混乱している時は政変もない方がいい気がするが、どうなることやら。岸田総理は順調な人生を送ってきたわけでもなく、幾度も挫折を経験した人だと聞く。挫折が政治家としてどう関わるかは人それぞれかもしれないが、人として深みが出ることは間違いない。人の話をしっかり聞くという姿勢も是非周りに広がってほしい。私の友人も9回目の出馬をしている。更なる活躍を願っている。
著名な方々が問題のある発言や行動で叩かれることが続いた。今はこんなことがあると過剰とも言える位のバッシングを受けるとになる。身近な方々は暫くの間辛い日々が続くかもしれないが、他人の失敗はただ一緒になって避難したり見ているだけでなく、再確認や改善に繋げられれば有難い事象とも思えてくる。
新型コロナワクチン接種券が届きました。予約が取れるならなるべく早めに打ってもらおうと思います。健康な人がワクチン接種により重篤な状況になることは、コロナに感染して重篤な状態になるよりもショックは大きいでしょうが、確率的には圧倒的に低そうです。様々な理由で打てない方は致し方ありませんが、ワクチン接種は大切な社会貢献でもあると考えてます。
東京オリンピック開催の是非が問われている。というより多くの方が今夏の開催には否定的である。アスリートの中にも開催に疑問視する発言をする方も出てきている。人生をかけて準備をしてきたアスリートには辛いことだが、そんな声がトップにしっかり届いているかは心配だ。私はオリンピック大好き人間である。選手の活躍を見れば勇気や力を頂けることは間違いない。そんな人も沢山いるだろうが、だからと言って開催することで命の危険が脅かされることがあってはならない。どちらにしろアスリート達に批判の矛先が向かないことを願う。
初午大祭も終わり忙しさも落ち着きつつある。今年はコロナ対策もあり、いつも以上に大変な日々を過ごした。僧侶としてや継松寺の住職としての使命感を思い起こしたり、自分以上に大変な毎日を送っている医療従事者やコロナ対策に当たる人々を思いながら何とか乗り越えられた。松阪出身の厚労大臣も超多忙な日々を送っているようだ。1月に地元の秘書さんがお寺に来られたが、大臣は寝る間もなくソファーで仮眠する日々が続いているらしい。普段はあらさがしばかりしているメディアも激務を憂慮していた。まだまだ落ち着くこともできないだろうが、とにかく身体に気をつけて対応に当たってほしい。コロナが終息したら銅像でも建ててあげたい。
今年も残りひと月をきり一年を振り返る機会も多々あることでしょう。誰もが経験したことのない世の中で困難ばかりに目が行きがちです。そういったことばかりに意識が向いてしまうと頭の中ではどんどん膨れ上がり押し潰されそうになります。楽しかったことを思い出し、それらを大きく膨らませましょう。今年のイメージが変わってくるかもしれません。
相変わらずのコロナ禍の中、プロアマ問わずスポーツ界の不祥事が気になる。団体でも個人でも上手く対応できているところもあればそうでないところもある。未だに試合がなくモチベーションを維持できない者も多くいることだろう。フラストレーションを発散することもできなく良からぬ方へ手を出してしまうのも想像できる。スポーツをしているからこそ心も鍛えられていて欲しいのだが、発展途上の者だって沢山いるはずだし適切なサポートがあるとも限らない。情状酌量があって然るべきの現状であると思う。
新型コロナの第一波が収束した頃だったか、麻生副総理が海外のメディアへの言葉の中に民度のレベルというものを使ってからずっと違和感を持ち続けている。日本人は比較的衛生的できちっとした国民性だが、海外に比べ緩い規制の中でもある程度感染者が抑えられているのは、日本人が心に持っている闇の部分が影響を与えているのではないかと感じる。コロナに罹ることよりも罹った事によって起こる周りとの関係性を心配する人が多い。人との関わりが希薄になった現在行き違いや勘違いも増えている。心の荒みやすい状況で個々が気持ちの立て直しをきっちりしてしていかなければと思う。
原爆忌が過ぎお盆に入った。終戦記念日も間近に控え生命の大切さを考えがちになるこの時期、新型コロナ禍で余計に何事もない安らかなることの有難さがしみじみと感じられる。四萬六千日に蝋燭で描く一字も「安」という字を選ばせていただいた。移動も制限され心にも穏やかならぬものが沸き立ちやすい状態だと言動もつい攻撃的になりやすい。安らかな心を求め手を合わせる時間をなるべく持ちたい。
最近こちらの書き込みが少なくなっております。自粛期間中はお参りしにくい方のためにも頻繁に更新をと思ってましたが、申し訳ございません。今後もこちらの書き込みはしていくつもりですが、手軽に更新できるFacebookやInstagramも利用しております。よろしかったら御覧下さいませ。
緊急事態宣言が解除になり社会は少しずつ元に戻ろうと動き出しているが、暫くの間は様々な事柄が中止の方向で検討され続けていきそう。ただ、ある程度年齢を重ねた我々と若者とは受ける影響が全く違う。若者達には僅かな期間でもその間に起こった事によって生涯癒えないない傷を負ったり成長するチャンスを奪われたりもする。若い世代が関わることは何とか機会を奪わないことを考えたい。withコロナの社会ではリスクもある程度許容しなければならないと思う。
相変わらず新型コロナウイルスの脅威はおさまりそうにない。皆さん十二分に気を付けて行動してほしいと思います。感染リスクの高いところは極力避ける。手洗い・消毒・マスク・咳エチケットなど大切ですが、一番大切なのは各自が体調を整えて免疫力を上げていただくことだと思います。同じように災いに会わないためにも心を整えていただくことが大切です。日々のお参りを心を整えることに繋げてほしいとお参りの方々にも伝えるようにしています。
お寺にお参りいただいてるラン友がレースがある日曜日の天気を心配していた。予報を見ると雨マーク。30年位前になるが長嶋監督の挨拶を思い出した。当時長嶋さんは日本トライアスロン連盟の会長をされており長良川でのレースにいらした。当日は雨模様。役員方の挨拶は生憎のお天気ですがという感じが続いた後、長嶋さんは雨に濡れながらも笑顔で否定的な言葉は全く出ない。最後には「雨もまた良し」。会場は当然大盛り上がりに。どんな状況でも諦めて楽しんでこそ力が発揮できると教えていただいた。検討を祈ります。
昨年松阪では正論おじさんと呼ばれる方が全国的にも話題になり、連日のようにメディアに取り上げられ、松阪市民として何とも恥ずかしい思いをした。その後目にしなくなりホッとしていたが、お正月に正当化するような記事を読んで再び残念な気持ちになった。昨今不寛容ということが問題になり生きづらい世の中を形成する要因の一つとされるが、正論と不寛容は紙一重だと思う。ガンジーも不寛容はそれ自体が暴力の一形態だと言った。自分も気をつけねば。
当山では毎年自分にとっての一字を書にしたのを募集している。自分の字でもないが先ず浮かんだのは「令」。元号が変わったことでいろんな行事を見ることができたし朱印帳に書く時は間違えないよう絶えず気を付けた。断トツで印象に残った字なので「令」の字を書いてみた。清水寺で管首によって発表された今年の一字もやっぱりの令。新しい時代も平和であることを祈る。
ノーベル賞発表の時期は村上春樹ファンとして毎年気になるところだが、今年も日本人として吉野彰博士が化学賞を受賞された。インタビューでよく話されていたのが執着心と柔軟性という一見相反するように思える二つの重要性である。壁に突き当たった時にはその二つで越えて来たという。沢山壁にぶつかれば超える度にゴールが近くなる。仏教の世界でもよく二つの相対するものの重要性を説く。智慧と慈悲はよく出てくる言葉であるが、二つの融合が大切である。うちの子供達はそれに因んだ名前を付けているがいつかそれを感じてくれるだろうか。
街には祇園祭を彩るアイテムが増える中、参院選に関わる声が響き渡っている。三重県は与野党ともに有力な政治家が多いせいか応援に来る政治家の顔ぶれも半端ない。枝野さん・蓮舫さん・小泉進次郎さん・菅官房長官などここは一体何処なんだろうかと思う。今日はとうとう安倍総理がみえるらしい。県内四ヶ所で演説すれば移動を考慮するとほぼ一日時間を費やす。重点選挙区かもしれないが一国の総理が貴重な時間を割いて応援する以上誰が当選してもそれなりの仕事を期待したい。しかし大物が応援すればするほど候補者本人の顔が薄れていくように思いますが。
新しい元号になった。前回は何かと自粛ムードの中厳かに代わっていったが、各地でイベントが開かれたり久し振りに迎えるお正月の様に騒がしい。きっと経済効果も大きいことだろう。お正月同様浮かれる必要はないのだが、大きな節目として平成を振り返り新しい時代に想いを馳せる時、ありがたいことに楽しく前向きにな気持ちで物事を考えられる。御朱印ブームもあるので連日「令和」という字を幾度となく書いている。ボーっとしているとまだつい「平成」と書きそうになるが、徐々に新しい元号に慣れつつある。いい時代になって欲しい。
イチロー選手引退という衝撃的なニュースが駆け巡った。昨シーズン始まって間もなくチームに帯同するが試合に出ないという状態になり、翌シーズンの開幕が日本に決まり、それが引退試合になるのではという心配が現実になってしまった。3歳の時に野球を始めてから常に確固たる目標を定めコツコツと努力を積み重ねてきた姿は菩薩のように見え、その言動から多大な刺激を受け、人に話をする時にはよく引用もさせていただいた。現役を引退しても多くの人に様々な影響を与えてくれる人であり続けることだろう。今までの華麗なプレーもいつまでも脳裡に焼き付いていると思う。
先日掃除中に足を滑らせ台から落下、脇腹を打ち付け肋骨を骨折しました。足場をしっかり確保しなかったために起った自分の不注意が原因ですが、痛みを我慢しながら不自由な思いをしております。肋骨はその字の通りいろんな動作に関わります。何より呼吸の度に動かしますので強い力で踏ん張ることができません。これからの時期掃除をする機会も多いでしょう。皆様もご注意下さい。面倒くさがらず順序を追って確実にということを心がけたいと思います。お参りの皆様にもご迷惑をおかけしまして申し訳ございませんでした。
関西地方では台風の被害があったと思えば直後に北海道では大地震が起こり、それから一週間が経つが多くの方がいまだに不自由な生活を強いられている。一刻も早く元通りの平穏な生活に戻れるようお祈りしております。今年はこういった書き込みを何度もしているが何十年に一度という気候が毎年おとずれるのは当たり前、いつか来ると言われる東南海地震はいつ来てもおかしくないといつも頭にインプットしておかなければとあらためて思う。
麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚をはじめ元オウム幹部だった面々の死刑執行がなされた。大きな事件が一区切りついたのだろうが、元幹部たちがどうしてそんな凶行をするようにいたったのかを考えると、ある意味被害者でもあった彼等は麻原と同罪のように扱われてよかったのだろうかと疑問も残る。当時のオウム信者に対するインタビューを集めたものを読んだことがある。彼らはとても信心深くひたむきで向上心が強い人が多い。エリートと言える人もたくさんいる。既存の宗教ではその思いに応えられなかったことを考えると我々宗教者としても責任を感じる。
広島をはじめ西日本各地で大雨により甚大な災害が起こっている。亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、被害にあわれた皆様には心よりお見舞い申し上げます。一日も早く平穏な日々が戻られることをお祈りいたします。毎年のように未曾有の天候が襲う昨今です。既存の防災体制では守れない場合があることを前提に行動をおこさないといけないのだろうか。
現代社会は旧態依然の考え方の人々には思いもよらないスピードで情報が拡散する。日大の問題ではまざまざとその構図をみせつけられた。大学側には様々な非難される理由があるのだが、何の非もない日大関係者が心を痛めているのを度々目にした。益々エスカレートしていく報道には早く大学側から収束される対応を考え実行していただきたいと切に願うと共にネットの書き込みにも細心の注意と責任を忘れないようにしたい。同じ時期に新潟で父子の遭難事故があった。まだ雪の残るような状況で捜索は一刻も急がれるべきなのに、ネットでは捜索を惑わせるような書き込みが目立った。そんな状況で全力で捜索できたのだろうか。6歳の子供が進んだ場所を何故捜索できなかったのだろうか。父親と子供が陥った状況を想像するといたたまらない。
大阪での地震により被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。被害がこれ以上広がらないようにお祈り致します。余震も心配です。くれぐれもお気を付け下さいませ。被害のない地域でもいつ被災地になるか分からない。万全の準備を心がけよう。
前回に続いて怒りの話である。昨今巷には怒りが蔓延しているのだろうか。怒らないための本も沢山売られているし、不寛容のこの社会の中で怒りに遭遇し疲れ果ててしまうこともある。怒りはある程度がまんしてても一度溢れてしまうと堰を切ったように出てしまい止めるのが容易でない。子育ての中で最初は良かれと思って行った叱責もいつしか止められなくなる。後から考えるとパワハラと言われても仕方がない自分の愚行に申し訳ない気持ちになったり自己嫌悪に陥ったりする。
人前に出る事が多い人は何かと理不尽に叩かれることも多い。それ程人前に出ない私でもしばしばご批判をいただくことがあり、耳を傾けなければとも思うが、すべてをまともに受けることには耐えられそうにない。腹を立てるようなこともあるが、なるべくそういう感情は表に出さないようにしたい。怒りの感情はあらゆる感情の中でも最も強いような気がする。時間が経てば収まることも多いが、感情が高まった時につい外に向かって反応してしまったりする。しかし怒りの感情を外に向けて発散させて状況が改善されることはなかなかない。同情される場合もあるだろうが、周りに悪い感情を振りまくことになりやすい。映画『スターウォーズ』の中でヨーダは怒りは暗黒面に繫がると言っていた。その言葉通りアナキンは怒りによってダースベイダーと化していった。気をつけねば。
日本スポーツ界で初めてともいえるドーピング問題は自分で使用したのではなくライバルをおとしいれるものだった。彼はオリンピック出場という夢だけではなく自分の選手生命まで断つことになった。唯一の救いはそれを自ら告白したことだ。トップアスリートは周りから想像もつかない程の重圧を強いられることがあり、精神的にバランスを崩す人も多い。今まで培ってきたスポーツマンシップを凌駕してしまう行動に出たのは残念で許されないことであるが、良心の呵責に苛まれたという彼の心にあった良心は大事にしてほしい。いつか指導者として活躍してくれないかと願うばかりだ。
秋頃からTVのワイドショウなどは同じようなものを続けて取り上げている。見れば見るほど詳細まで気になりついのめり込んでしまう。政治に関する事は何処かで自分と繫がっているかもしれないが、当事者でもなく評論家でもなく相撲がそれほど好きでもないのに誰が悪いこれが良くないと言い出す自分に気付き、メディアの思う壺になっていると呆れている。度を超さないように楽しみたい。
相撲界で暴力が問題になっている最中であるが、津地裁では昨年起こった中学生を暴行の末死に至らしめてしまった悍ましい事件の判決が出ていた。その裁判員のコメントの中に加害者の少年が家庭内で暴力を受けており、そのことが暴力を正当化する考えに影響を与えているように感じたとあった。実際加害者の少年は喧嘩でしか問題を解決できないと考えていたとも述べていた。いろんなところで非暴力を目指している世の中であるが、武力は暴力と違うのだろうか。
すべての人が普通に文化的な暮らしができ、平和な世の中になってほしいという思いを込めて台風の近づくなか投票に行ってきた。周りの国々との関係が不安な情勢の今、お寺にお参りされる方の中にも世界の平和を願う人は多い。写経をされる時にもそういった願意がよく目立つ。平和な世の中は決して武力によっては作れないし、諦めることなく対話を続けていくしかない。非常に困難なことであるが夢物語ではないと思う。はなから諦めている人が多すぎる気がする。
今年の夏終戦記念日に近いある日かねてから行きたいと思っていた香良洲の歴史資料館に行ってきた。香良洲町はかつてその大部分を海軍航空隊の養成所いわゆる予科練の敷地が占めていた。現在もその部分を掘が取り囲み当時を偲ぶことができる。資料館はその一角に佇んでいる。建物は昭和55年にできているが館内には戦時中の品々が多く展示されている。予科練を卒業して或いは戦争末期には途中で志願して特攻隊などで戦地に散っていったものもいたのだろう。彼らの遺品や遺書も見ることができる。10年位前に知覧にある特攻平和会館で涙を流した記憶も蘇る。それに比べると香良洲のそれはとても地味で1時間いても他に誰も入場者がない程だが、70年以上前に起きていた事を想像し平和を望む気持ちを益々強くすることができた。また訪れてみたい。
衆議院の解散総選挙があるらしい。政治を動かそうとすると政権を取らないと実現できないし、そのために解散の時期は大事であろうが、納得できない理由での任期途中の解散はいつももったいないなあと残念になる。衆議院の選挙があると選挙費用に約600億円が必要らしい。任期がくればしょうがないと思うが、任期途中での総選挙になれば結局は選挙の回数が多くなり600億が余計にかかる。来週は納得できる説明が聞けるのだろうか。
ホームページリニューアルしました。しばらく休んでましたこのコーナーも再開いたします。今回のリニューアルのきっかけは、私が長年使用してたPCが世の中のIT状況についていけなくなったことに端を発します。日々驚く速さで進歩していくIT環境には、つい2,3年前まで大事にワープロを使っていたような私には大きな違和感を感じながらも、時々は修正していかないと全く情報を発信できない状況になってしまいます。どうしていいやら分からぬまま前に進んでいきますが、物を大切に使う習慣は持ち続けていこうと手に馴染んできた活用方法未定のPCに約束しました。